1. HOME
  2. 記事
  3. 最新号
  4. 【6月号書評】『未完の建築 前川國男論・戦後編』(松隈洋著/みすず書房)

【6月号書評】『未完の建築 前川國男論・戦後編』(松隈洋著/みすず書房)

『未完の建築 前川國男論・戦後編』
松隈洋 著
みすず書房/2024年/680頁/A5判/7,480円(税込)

 

伝統と近代、その接続
評者:林大地(京都大学博士課程)

5年ほど前、大学院の入学試験を受けるため、東京から京都にやってきた。そこで私は不思議な体験をした。場所は三条大橋。その日は晴天だった。三条駅で電車を降り、階段で地上に上がる。そして顔を上げ、古い木造の建物が鴨川沿いに所狭しと建ち並ぶ光景を目にした瞬間、私は「ここが私の故郷だ」と直感的に感じたのだ。

中学校の修学旅行以来の京都であるため、とくに京都に思い入れがあるわけではないし、無論長期滞在の経験があるわけでもない。しかし私は、自分はここに長く住むことになる、と妙な仕方で納得した。生まれ故郷の東京を故郷と感じたことはないのに、なぜ縁もゆかりもない京都を故郷と感じたのか。この5年間ずっと謎だったが、本書を読んでその理由が朧げながら見えてきた。

今思うとおそらく、時間と記憶を堆積させた伝統ある木造建築の「確かさ」が、故郷の感覚をもたらしたのだろう。歴史を感じさせる建物が建ち並ぶその町並みは、東京の平板な街並み―それは過去を失った、現在だけの街並みである―とは異なり、心のよりどころとなるものだった。長く住めばそこが故郷になるわけではない。たとえ一目見ただけでも、そこが故郷になることがある。京都の町並みから、私はそのことを学んだ。

本書に話を戻せば、戦後の前川が追求したのは、この「確かさ」だったのではないかと思う。京都の町並みが有する確かな存在感を、20世紀のモダニズム建築に与えること、言いかえれば、「伝統」を「近代」に接続すること、そこに戦後前川の課題があった。そしてその終わることなき「未完」の道程を丹念に跡づけたのが本書である。

前書『建築の前夜 前川國男論』は「戦前編」であり、描かれるのは1945年の敗戦まで。「戦後編」と題された本書はその続編に当たる。戦前に深められた建築思想は、戦後いかなる姿で開花したのか。「人間にとって建築とは何か」「建築家はいかに生きるべきか」を問い続けた前川は、戦後いかなる建築を生み出し、建築家としていかなる姿勢を示したのか。木造組立住宅「プレモス」から国立国会図書館新館まで、本書がたどるのは、戦後の前川、約40年間の歩みである。以下、本書に即して、その歩みを簡単に振り返りたい。

建築界は戦後も多くの課題を抱えていた。仕事の場が軍部から進駐軍に変わっただけで、佐野利器を中心とする戦争協力的な体制はそのまま維持されるなど、戦前と戦後の連続性がそこには存在していたのである。しかしその一方で前川は、進駐軍の仕事を受けることなく、工業化と量産化にもとづく木造組立住宅「プレモス」の試作に取り組んでいた。これは木造バラックという制約下での試みだったが、1950年代に入り、戦時下の資材統制が解除されると、前川は「テクニカル・アプローチ」を掲げながら、建物の合理化と軽量化を目指して、鉄筋コンクリート造の本格的なモダニズム建築に取り組み始める。

しかし1950年代後半に入ると、前川の建築にある変化が訪れる。その変化を象徴するのが、世田谷区民会館・区庁舎、京都会館、東京文化会館という3つの建築である。世田谷区民会館・区庁舎ではコンクリートが用いられたが、これは合理化や軽量化を目指したそれまでの前川建築を相対化する意味をもつ。前川はこの時期から、モダニズム建築の合理主義や機能主義に限界を感じ、それが失ったものに目を向けるようになる。前川の「転換」がそこに準備される。

前川の「転換」を決定づけたのは京都会館だった。前川は京都の歴史や伝統と向き合うなかで、テクニカル・アプローチから一定の距離を取り、合理性や機能性の追求から、存在感や物質性の追求へと、仕事の重点を移すことになる。この存在感や物質性、すなわち時間の流れに耐える建物の確かさこそ、モダニズム建築から失われてしまったと前川が考えていたものにほかならない。モダニズム建築にモノとしての確かな存在感を与えること、前川はそれを自らの課題として引き受けるようになる。

著者は言う。

これらの建物(上記の3つの建物)には、それまでの軽量化を求めた最小限の構造体による最大限の空間の実現という(モダニズム建築の)論理からは出てこないような、大きな庇や骨太な構造体、タイルや自然石など素朴な建築材料の使用といった特長が見られる。

そして晩年の前川がたどり着いたのが「永遠性」というテーマだった。「自分が建築に求めているのは、永遠性である。人間の命は儚いから、建築を通して永遠なるものを作りたい」。可死性を帯びた人間は儚い存在であるため、建築家は永遠性を帯びた建築に生の証しを刻み込もうとする。だからこそ建築は、永遠性のために、モノとしての確かな存在感を有していなければならない。前川はこの建築思想を携えて、1986年に81年の生涯を終えるまで、ポスト・モダニズム建築が台頭するなか、自分の仕事を着実に進め続けたのだった。

本書を通じて気づかされたのは、私がいかにモダニズム建築を誤解してきたのかということである。建築に疎い私にとって、モダニズム建築とは、装飾を排した白い壁を特徴とする冷たい建築でしかなかった。モダニズム建築の初心には心のよりどころとなる建築をつくるという人間的な理念が存することを私は知らなかった。私が見ていたのはモダニズム建築の「造形」であって「精神」ではなかった。モダニズム建築がなぜあのような造形に至ったのか、その歴史的・社会的背景に思いをめぐらせることはなかった。しかし本書は、モダニズム建築が出現した歴史的必然性と、それが有する社会的使命を教えてくれる。こうした背景を知ったとき、モダニズム建築に初めて生命の息吹が吹き込まれたように感じた。

とりわけ私が誤解していたのは、モダニズム建築の過去との関係性である。「私は今までに唯一の師しか持ったことがないのです。過去という師です。」というル・コルビュジエの言葉が示すように、モダニズム建築は過去の否定を試みたわけではなかった。むしろ「過去」を「現在」に接続すること、すなわち「伝統」を「近代」に接続することこそが、モダニズム建築の課題だった。過去から継承した遺産を、現在という地点から、今度は未来へと継承していくこと―建築におけるこの「時間」というテーマを真正面から引き受けたのが、戦後の前川、とくに京都会館以降の前川だったのだろう。

歴史や伝統との対話を始めた前川は、たしかに、モダニズム建築の明るく軽やかな「造形」からは次第に離れていった。前川はしかし、心のよりどころとなる建築をつくるというモダニズム建築の「精神」には生涯忠実だったのではないか。つまり前川は、その「後衛性」が批判される晩年にあっても、変わらず真正のモダニストであり続けたのではないか。本書を読むかぎり、モダニズムとは「精神」の名であって「造形」の名ではないように思われる。だとすれば前川は、モダニズム建築の「精神」を守るために、その「造形」から離れたと言えるのではないか。「精神」に忠実であることと「造形」に忠実であることのどちらが真正のモダニストであるかと問われれば、私は前者に軍配が上がるように思う。

モダニズム建築の精神は、「人間にとって建築とは何か」と根源的な問いを発し続ける。だとすればモダニズム建築の歴史を学ぶことは、前川が言う「建築構造学を基礎づける建築本質認識の学としての本来的な建築学」を学ぶことに等しい。それは建築の本質とは何かを問い続ける学問の謂いである。この根源性=原理性ゆえに、私たちは折にふれて、モダニズム建築の仕事に立ち返るべきなのである。モダニズム建築の精神、その精神が有する意義は、建築がこの世界に存在するかぎり薄れない。と同時に、その精神を現代に甦らせた本書の意義もまた薄れない。

著者は言う。

現代の私たちに求められるのは、ポスト・モダニズムによって切断されて見えなくなってしまった「未完のプロジェクト」としての近代建築の道筋を、前川國男の歩みを手がかりに再定義して、そこに新たな生命の息吹を注ぎ込むことではないか。

「未完のプロジェクト」としての近代建築―この言葉が示すように、私たちはまだ、モダニズム建築の可能性を汲み尽くしてはいない。前川の「未完の建築」を引き継ぐ者が、今、必要とされているのである。

 

林大地(はやし・だいち)
1997年 東京都に生まれる。慶応義塾大学商学部卒業。現在、京都大学大学院人間・環境学科博士課程3年。京都大学生協発行の書評誌『綴葉』の元編集長、現編集委員。専攻は20世紀ドイツ思想史、とりわけハンナ・アーレント。著書に『世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える』(みすず書房)。

【掲載号】2025年6月号

 

関連記事