【2月号書評】『人・建築・地球とエクセルギー 環境物理学入門』(宿谷昌則 著/建築資料研究社)
『人・建築・地球とエクセルギー 環境物理学入門』
宿谷昌則 著
建築資料研究社/2024年/336頁/A5判/3,300円(税込)
私たちにとっての本当の恵み
評者:堀部安嗣(建築家)
本書は、人間が人間のためにつくった「物語」に惑わされることなく、建築や環境の仕組みを科学的に正確に捉えてゆくことの大切さを知ることができる本である。
著者が環境物理学のさまざまな事象を読者に分かりやすく正確に伝えようとする姿勢、そして自然科学の泰然としたありように、どこか救われる思いを抱くのも本書の特徴だ。
そして本書で取り上げられた興味深い話題を読むうちに、人間が都合よくつくり出した浅薄な物語より、ずっと深遠で驚嘆すべきものがあるではないか、と認識することができる。
本書の表紙カバーのイラストにあるように私たちをはじめすべての生命は太陽系のなかで、密接に宇宙と繋がり合い、交信している仕組みを念頭におきながら読み進めると本書が読み解きやすい。依然として私たちが生まれ、生きられているのは、5、700度という極高温の太陽(資源)とマイナス270度という極低温の大宇宙に繋がり関係し合っているからだ。
昨今、環境に関する人間が生み出した物語がたくさん存在する。脱炭素、省エネルギー、エコ、持続可能性など枚挙にいとまがない。
もちろん地球上の深刻な現実を改善するために生まれてきたキャンペーンであり、問題を解決する方向に働く場合もあると思うが、いつの間にか人間にとって都合のいい物語にすり替わってしまうことにも気をつける必要があるだろう。耳障りの悪い事実や現実を物語の力で蓋をしたり捻じ曲げる力がどうしても働いてしまうのが私たちの常だからだ。
そしてみんなと同じ物語に参加していれば、たとえその行為が必ずしも省エネルギーや脱炭素に繋がらなくても、“環境にいいことをしている感”を得られるという習性が私たちにあることを認識したい。
“クリーンで安全な原子力発電”という物語をつくり、そして3・11があり、さらにその物語が復活しようとしている。
また、かつて原子力発電を“第二の太陽”と言っていた時期があった。
太陽系の仕組みのなかでいかに愚かな物語設定であったことか。
また最近は「ポスト・トゥルース」という、客観的な事実よりも、個人の信念や感情的な訴えが重視される傾向が見られる。科学的根拠がなくても、たとえ間違っていても、虚構であっても、フェイクであっても構わない。話が興味深く、自分にとって都合がよく、ある特定の人と共感し連帯し合えるのであればそれでよいとする風潮である。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは著書『NEXUS 情報の人類史』(河出書房新社)のなかで、人間社会は真実の探究に制限を課すことで秩序を守ろうとしかねず、その典型はダーウィンの進化論への態度に見られると言う。
進化を科学的に理解すれば、ホモ・サピエンスを含め、多様な種の起源と生物学的特性の理解が進行するが、一方で多数の社会で秩序を維持している重要な神話や宗教の数々が損なわれもする。つまり科学的で客観的な事実は神話や宗教といった物語にとって都合が悪く耳障りなのである。よってさまざまな政府や教会が、進化を教えることを禁じたり制限したりし、秩序のために真実を犠牲にすることに繋がると説く。
アメリカという国を考える。建国からヨーロッパ出身の白人の視点で都合よくつくられた物語国家と捉えることができる。先住民や黒人の人権を蔑ろにして、自由と民主主義の物語を生み出したのが国のはじまりなので、今でも国のリーダーは詭弁や嘘を駆使してゆくことが当たり前だ。国家の秩序を維持するために、時に事実が捻じ曲げられてゆくことを気にする気配さえ見られない。
一方、この人間がつくり出した物語によって、私たちは互いに協力しあって地球上で他の動物が真似できないことを成し遂げたという正の側面ももちろんある。また物語は優れた芸術や文学を生み出した。何より多くの人がそんな物語を信じ、楽しみ、心の拠り所にしている。しかし、現在パレスチナなどで起こっている戦争や歪みも、この物語が生んだ副産物であることを、今こそしっかり認識する必要があるだろう。
建築の領域においても私たちはさまざまな物語をつくってきた。ゴシックやバロック、和風や洋風、茶室や数奇屋、モダニズム(ポストモダニズム)などが分かりやすい。私はそのような建築の物語やスタイルにもちろん興味も敬意もあるけれども、その土地の気候風土や動物としての人間の心身への真摯な対応から生まれ、生活の知恵が時間をかけて集積された民家のような虚構の気配のない建築により魅力を感じる。また、田んぼの真ん中に即物的に素朴に佇む納屋や小屋のようなものに心惹かれるのも、人間のつくり出した物語から離れたところで成立している建築にこそ強さと美しさを感じるからであろう。
本書のなかで著者も、人間の物語から離れ、かつ自然の仕組みを活かしたり模倣したりすることにこそ建築が本来探求すべきことがあると説いている。
さて、著者がより正確に環境物理を伝えるために、どうしても導入せざるを得なかった概念が「エクセルギー」である。しかしこのエクセルギーという言葉はエネルギーと違って日常的に使われることはほとんどなく馴染みのないものだ。
しかし、このエクセルギーの概念を正確に理解できなければ読めない本ではない。エクセルギーが分からなくても、あるいは最初から最後まで順番に読まなくても構わない。読者の興味ある話題から読んでみてはいかがだろう。とはいえエクセルギーという概念をまず少しでも理解したければ、第5章のなかの「拡散能力・エクセルギーそして消費」の一節を最初に読むことを薦める。そして、ある程度読み終えた時、エクセルギー概念は“なんとなくこういうことかもしれない”とぼんやり見えてきて、誰かとエクセルギーについて語ってみたくなったとすれば、著者が伝えたかったことが読者にしっかり伝わったと言っていいのではないだろうか。
ところで前述した通り、本書には人間がつくり出した物語は出てこない。ゆえに“比喩”もない。エクセルギーを分かりやすく例え話にできればよいのだが、そうすると分かりやすくなる反面、事象が歪み正確さが失われてしまうのは当然のことだ。しかしながら、本書の読者である私であれば不正確であることは重々承知のうえでエクセルギーを別の言葉で置き換えることは許されるだろう。創造的誤訳は読者の特権である。
ということで、本書を一通り読んだうえでエクセルギーを私なりに別の言葉に置き換えると、「“恵み”になりうる可能性を秘めたもの」だ。
建築や環境のありようをエクセルギーの概念を通して見つめると、平等に与えられる穏やかな“恵み”が浮き上がり、途絶えることのない“恵みの循環”をより活かした仕組みを建築に取り入れることができるのではないだろうか。そんなことが見えてくる。
たとえば原子力などは莫大なエネルギーを秘めているけれども、長期的に考えて、あるいは太陽系全体を考えた時、その恵みはあまりにも微々たるものであろう。恵みの循環が促されることもない。このようにエネルギーではなくエクセルギーの概念を用いて、本当の恵みになりうることの可能性を見つめたい。
知らず知らずのうちに人間のつくった物語のなかにどっぷり浸っている私たちの日常に、目が覚めるような気づきを与えてくれたのがコロナウイルス禍であった。
そして人類が窮地に陥ったときに、人間がつくり出した勝手な“物語”は役に立たないことを知った。神頼みは効き目がなかった。自然科学、宇宙や生命の仕組み、そして歴史を正確に知ることでようやく一旦は危機を脱したのである。
今後、さらなる人類共通のさまざまな試練が待ち受けているだろう。そんな時私たちを救ってくれるのは、はたして何なのか。そして私たちがこれからも太陽系のなかで無理なく生きてゆくための環境とは。
本書は今こそいったん立ち止まってしっかり正確に考えよう、と促しているように私は感じた。
堀部安嗣(ほりべ・やすし)
1967年 神奈川県に生まれる。1990年 筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。1991年~1994年 益子アトリエにて益子義弘氏に師事。1994年 堀部安嗣建築設計事務所設立。2002年 第18回吉岡賞を「牛久のギャラリー」で受賞。2007年~2024年 京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)大学院教授。2016年 日本建築学会賞[作品]を「竹林寺納骨堂」で受賞。2020年 毎日デザイン賞を受賞。2022年~ 放送大学教授。






