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【6月号書評】『まちは言葉でできている』(西本千尋 著/柏書房)

『まちは言葉でできている』
西本千尋 著
柏書房/2025年/216頁/四六判/1,980円(税込)

 

こぼれ落ちそうな言葉に炬火を灯して
評者:本間智希(建築史家)

 「夕やけだんだん」がなくなる。

 2025年秋、東京の谷中・根津・千駄木といった下町、通称「谷根千」の夕焼けの名所として市民に親しまれた階段「夕やけだんだん」に隣接する土地で2棟のマンション建設が進み、そのマンションによって美しい夕焼けを見渡す眺望が失われた様子がSNS上で広がった。
 マンション建設に際し、従前より地元商店街から疑問の声は上がりつつも大きな反対運動までは起きず、事業者が荒川区の区条例に基づいて住民説明会を開き、適正な手続きを進めたとして行政も法令上止める手だてはなく、建った。
 事業者によるウェブサイトには《谷根千の情景、夕やけだんだんに寄り添う住まいへ》と高らかに謳われている。建築史家の布野修司は著書『景観の作法』(京都大学学術出版会、2015年)のなかで、“景観でメシが食えるか?”という迷言を紹介したが、そのまちで脈々と暮らしを営み風景を育んできた地元の人たちを置き去りに、その景観を独占し換金化しようとするデベロッパーによる言葉が、うわすべりしていた。

 「夕やけだんだん」が話題となった時節、1冊の本が世に生まれた。まちづくりの現場に20年並走してきた西本千尋の初めての単著『まちは言葉でできている』である。
 本書は、マンション建設に限らず再開発やまちづくりにおいて、行政やデベロッパーが用いる言葉がどのような制度と構造に支えられ、どのようなまちを生み出してきたのか、その具体例を【第一部:再開発の言葉】で点検し、ジェントリフィケーション(再開発とともに富裕層が増えそのまちが変化すること)の脅威に抗う地道な現場の声と取り組みを【第二部:足もとの言葉】として取り上げる。第一部だけでは、個人の力では解きほぐすことのできないほど巨大で複雑な利害関係のうねりに、無力さに苛まれ暗い気持ちになってしまうが、第二部で紹介される“顔の見える”草の根の切実な取り組みに、著者とともに読者もまた「闇のなかに灯る炬火(81頁)」を見る思いになるだろう。

 著者の西本は2000年初頭に大学のまちづくりの研究室で「住民主体のまちづくり」を学びはじめて以来、商店街、景観、観光、歴史的建造物、町並み保存、エリアマネジメント、居住支援など、さまざまなまちづくりの現場に携わり、一言では言い表せない職能を切り拓いてきた。専門的な用語や事例の背景は、本文と同じくらいのボリュームの脚注で各章まとめられ、著者の20年の経験が込められている。
 そんな西本のバイタリティの源泉のひとつに、川越の町並み保存の契機となった、地元商店街から猛烈な反対運動の末に建ってしまった町並みを見下ろす11階建マンションで自身が生まれ育った出自を自覚的に位置付けていることが本書ではうかがえる。再開発の勢力と住民の反対運動という単純な二項対立では読み解けない、まちづくりの割り切れないせつなさと憤りのない混ぜとなったまなざしが西本の活動に通底する。たとえば本書では、自身がコンサルタントとしてエリアマネジメントに携わった仕事が、結果的にその場を居場所にしていた弱者の排除に加担した後悔や反省も赤裸々に綴られる。まちづくりの名のもとに、その過程で、誰の言葉が拾われ、誰の言葉がこぼれ落ちていったか、西本は常に敏感に心を砕く。そのせつなさと優しさが本書の筆致に溢れている。
 
 「お前は京都市か。京都市はもういい!」

 2018年8月、建物の合間から京都タワーが顔を出す市営団地の片隅でかけられた言葉を筆者は今でも忘れない。当時の私は、京都市立芸術大学(以下:芸大)および京都市立銅駝美術工芸高等学校(以下:高校)の移転整備計画にかかわる「リサーチ・機運醸成チーム」の一員で、新キャンパスの建設用地としてやがて解体される市営団地で行われる最後の地蔵盆に立ち会わせていただいた時の話だ。当時フリーの建築や都市のリサーチャーとして移転プロジェクトの末端で動いていた筆者を京都市の職員だと思い込んだ団地に長らく住む年配の女性が、初対面で投げかけた言葉だった。
 その団地は京都駅の東隣、「崇仁」のまちにある。かつて人口1万人を超える日本最大規模の被差別部落として、謂れなき不当な差別を受けてきた同地域では、同和政策やさまざまな利権に揺さぶられながらも、住民自身の手によってまちづくりが活発におこなわれてきた歴史がある。明治32(1899)年には住民自らの力で銀行を設立し、崇仁の自治のランドマークとなった。建物は現存し、同地域の歴史資料の収蔵と展示を行う柳原銀行記念資料館となっている。しかし、住民の高齢化や地区外への流出が進み、人口は減少し、そんな崇仁のまちの一部に、芸大と高校が移転することが正式に決まったのが2014年。後に京都市が2018年に発表した移転整備事業の基本設計には、両校の移転によってこの地域が「『文化芸術都市・京都』の新たなシンボルゾーンとなることを目指しています」と記された。

 「もういい」という言葉には背景がある。
 1956年に住民運動を受けた京都市が崇仁地区の劣悪な環境だった木造バラック一帯を買い上げ、鉄筋コンクリート造の「改良住宅」として再開発した。住民からすれば運動によって勝ち取り終の住処のつもりで住み慣れた我が家を、京都市の都合でふたたび引越しを余儀なくされるのである。
 私は再開発前の団地で行われる最後の地蔵盆を、少なからず移転にかかわる者の一人として見届けないといけないと自主的に足を運んだのだった。初対面とは思えないほど人懐っこい団地に住む子供たちと鬼ごっこをし、花火をしたりしながら、最初に怒鳴られた女性もやがて率直な思いや不安を話してくださり、最後は「子供たちと遊んでくれてありがとう」と伝えてくれた。
 その後ほどなくして住民たちは立ち退き、計画通り市営団地は次々と解体され、キャンパスの建設工事も進み、令和5(2023)年に芸大と高校は全面移転した。あの地蔵盆のコミュニティはもうない。あの時あの場に集った人たち、一緒に遊んだ子供たちは、何処へ行ったのだろうか。
 京都市が進める「文化芸術を核としたまちづくり」において、一町内会の地蔵盆は取るに足らないものかもしれない。しかし地蔵盆は、行政の手を借りることなく町内で毎年営んできた行事であり、世帯や世代を越えて地域で集まれるコミュニティの場であり、本書で紹介される「脆弱さを支える関係性が織りなす居場所(82頁)」の一つと言えるだろう。再開発によって地蔵盆がなくなることは、もとの町内の繋がりがリセットされることであり、西本が本書で鋭く指摘した「公共の福祉による換金不可能なものの剥奪(129頁)」に他ならない。「京都市はもういい」という率直な言葉は、まちづくりの名のもとに不可視化され、そのプロセスの中でこぼれ落ちた言葉だ。忘れてはならない。
 芸大が移転した京都駅周辺では大型の体験型アート施設が立て続けに計画され、駅の北側では一部で高さ規制を緩和する検討を求める動きなど再開発が加速しつつある。そのまちづくりや再開発に、筆者が地蔵盆で会った人たちは含まれているだろうか。芸大移転をトリガーに、アートが地域のジェントリフィケーションに都合よく使われていないか。疑問が消えない。

 茫漠たる不安はありつつ、闇のなかに灯る炬火もある。
 芸大の小山田徹学長は、アートによる駅周辺の開発の波に疑問を投げかけ、短期的で限定的な受益者のための高層ビルを建てるのではなく、崇仁地区の住民や学生たちと対話を重ねながら京都駅から鴨川までを森で繋ぐ「緑の回廊・百年の森プロジェクト」を提唱する(朝日新聞デジタル2025年12月7日19時配信)。
 目先の利益にとらわれず、長尺の思想によって、鴨川に近い自然豊かな場所を生かして新しい価値を育むこと、それこそが真の芸術文化ではないかと投げかける。筆者も賛同の意を表したい。

 東京にせよ京都にせよ、どこで暮らすにしても、私たちは自分たちが暮らすまちを語る言葉を、もっと自覚的に、そして自律的に、育てていく必要がある。そうでないと、誰かの都合のいい言葉によって、いつの間にか私たちの暮らしや愛着を置き去りに、まちが塗り替えられてしまうだろう。
 「まちは言葉でできている」と断言する西本が本書を世に生み出して私たちに託したのは、そんな警鐘であり、願いであり、希望である。
 変わりゆくまちに、割り切れないせつなさと行き場のない憤りを感じながらも、私たちは孤独じゃない。仲間がいる。本書がそれを教えてくれる。多くのまちづくりの現場で、本書が「住民主体のまちづくり」の火床のような存在となることを願う。

 

 

本間智希(ほんま・ともき)

1986年生まれ。早稲田大学建築史研究室修了後、京都へ移住。建築リサーチ集団RAD、奈良文化財研究所の任期付研究員、京都工芸繊維大学博士後期課程(満期退学)、京都芸術大学の教員を経て現在はフリーランス。京都北山の文化遺産の保全に取り組む北山舎や、京都下鴨で戦前の洋館とケアをめぐるコモンズの下鴨ロンドを主宰。解体される建物の看取りの活動もしている。

 

【掲載号】2026年6月号

 

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